正直、自分は結構個性的だと思っていた。
でも、躁鬱界のなかではまるで凡人だったことがわかった。
というのも、坂口恭平著『躁鬱大学 気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません』という本を読んだ。
この本では、著者がまず躁鬱と公言している。
そして10年もの間、個人の携帯番号を公開していて、鬱状態の人から電話をもらっては相談されている立場でもある。
この本の中では、躁鬱というのは人の分類なのだと。
そんな躁鬱人の(とくに鬱状態の時の)悩みに対し、「人は、人からどう見られているかだけを悩んでいる」と記されていた。
そのほかの悩みは存在しない、とまで言っているのはさすがに言い過ぎな気もするが、躁鬱人は極端なものいいをする、ということでここはスルーしよう。
「人は、人からどう見られているかだけを悩んでいる。」そんなこと、大いにある。
少し話は逸れるが、私が鬱々としているときに考えることはこうだ。
生活もままならない、社会の役にも立たない、こんな人生を送っていたってただのお荷物だ、生きていたってしょうがない、もう死ぬしかない、、、
あの人に面目がたたない。みんなに迷惑ばかりかけて、なんて最悪な生き方をしているんだろう、、、
これは私しか感じることのない独自の悩みだと思っていた。
分かってもらえるわけない、わたしだけがつらいと思っている悩み…。
しかし、本を読んでいたら、著者も同じようなことを書いていた。
相談電話をかけてくる人間、笑っちゃうくらい同じことを口走るらしい。
え?鬱でつらいときって、みんな同じこと考えちゃってるの?
ただ、誰も口に出して言おうとしないだけで、躁鬱人ってみんな似たような行動をとるらしい。
なーんだ、鬱の時って、いつも同じこと考えちゃうように、もともと脳にプログラミングされてるだけなのか。
なんだかストンと、力が抜けた気がした。
どうして自分だけが世界から不要な存在であると思い込んでしまうのか。
躁鬱になるという脳の構造のもとに生まれてきたからである。
鬱の時は万人がそうなるように決まりきっているのだ。
ちなみに躁の時は生まれてきてよかった、産んでくれた親ありがとう!みたいなマインドになるところまでセットでぴたりと言い当てられたから驚きであった。
鬱で私が生きることに意味を見出せないことも、躁で私が生きていなかったら世界は回らないなんて思うことも、全てが躁鬱人の特徴そのものであるだけだった。
私は躁鬱界の中の凡人である。
普通の人とはちょっと違うのかもしれないが、躁鬱の人からしたらベーシックな悩みをもった一般ピープルだ。
これがわかってからは、ちょっとだけ生きやすくなった。
自分だけじゃない、という慰めは好きじゃなかったけど、なんだかんだ自分が多数派に所属していると分かれば安心するものだ。
テンションMAXからズドンと下がることがあったとしても、ああまたなんか落ち込んできたな、これは脳の異常だから諦めよう。みたいなスルーが(前よりはちょこっとだけ)できるようになってきた。
それに伴って、夫に迷惑かけることも若干少なくなったんじゃないかと思う。心配はかけてしまうけれど。
本を読むことがこんな気づきになるなんて思わなかった。
というか鬱発症してから読める本が少なくなってしまったから、たまにこうして読める本があると大きな気付きに繋がるんだなとわかった。
また読書して心に残ったものがあればこうやって書き残そうと思う。
私は人とちょっと違うかもしれないけれど、そういう界隈においては凡人である。
ぼん‐じん【凡人】
読み方:ぼんじん
普通の人。ただの人。(weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E5%87%A1%E4%BA%BA )より