結婚してもうすぐ二ヶ月が経つ。
穏やかに日々は過ぎ、精神面もかなり落ち着いた日々を過ごしている。
一人暮らししていた頃をふいに思い出すことがある。
たしか毎日が生きるか死ぬかの二択だった。
夫と付き合うまで、私の人生もうとっくに終わっていたと思っていたから、寿命が来るまでの消化試合だったし、もう無理になったらいつでも終わらせればいい。
そう思っていた。
消化試合だったので貯金もしていなかった。
それがいきなり、二人で生きていきますってことになるんだから人生何が起こるかわからない。
初めて一緒に住もう、という話題が上がったのは、夫と付き合ってまだ日が浅かった頃。5月頃だったと思う。
新宿のIKEAで春日が破壊した伝説の椅子にお試しで座りながら話した。
その頃私は夫と結婚するなんて1ミリも考えていなかった。
寿命を全うするまでの消化試合の中で、たまたま一緒に居合わせた、くらいの存在でいてほしかった。
これまでの恋愛では相手に寄りかかってしまってうまくいかなくなってきたから、たまたま一緒にいる、くらいの寄りかかり方で、程々に付き合っていこうと思っていた。
話していない秘密もたくさんあったし。
まあ付き合った時点で責任を持つべきではあったと思うから、そこは今では反省すべきであるのだが。
だから一緒に住むというのも絵空事に近かった。
いつかそんな日が来るのかしら、みたいな。
よくある口先だけの未来の話。
遠距離を続けていくための、架空のゴール。
けど、夫は違った。
めちゃくちゃ具体的に、何月頃から大阪に引っ越してくるのがいいか、真剣に考えていた。
私はそんな夫をみて、かなり焦った。
これは一時の感情じゃないぞ、絵空事じゃねえぞと、IKEAで感じることになるとは思いもよらなかった。
具体的に何月から引越しをしようか、という話になった辺りで非常に焦った。
この人は本気で私と生活していく気だ。
私は一年準備してもまだ人と一緒に住むなんて不可能、と思っていて、実際ただ生きているだけだったから、せめて人並みに生活することができるようになってからだろと、思ってやまなかった。
客観的に自分を見たら誰もが言っただろう。
そこで話し合って提案したのが、2023年1月頃からという案だった。
それから私の日々は、消化試合ではなくなった。
明確な目標ができたことで、努力する意義ができた。
その間に隠していた秘密がばれたり、幻滅されることも何度か起こった。
毎回覚悟したが、夫は見捨てなかった。
見捨てられなさすぎて、逆になんで?と疑問だった。今も疑問だ。
紆余曲折あって、2023年1月を予定していた引っ越しは2022年9月末に変更になった。
できることはなんでもやったけれど、やっぱり理想とはかけ離れた状態での同棲開始になった。
全然目標には辿り着かなかったが、安定して落ち着くまでそう時間はかからなかった。
10月には大体落ち着いて、生活リズムも少しずつ改善されてきた。
それでもやっぱり、ふと生きるか死ぬかの二択が現れることはある。
でも、夫のためにもここで死ぬわけにはいかない、と、夫の存在がいい意味で抑止力になって、どっこい生きている。
どんなに無様でも、受け止めてくれる存在がいると思えば、生きていてもいいかなと思えるようになった。
生活は黙っていても過ぎていくが、やるべきことをやっていく方が生活は充実するんだな、と実感した。
解像度が上がったからか、最近になって、選択肢が増えたように思う。
生きるか死ぬかの二択じゃない。これは自分の中で大きな進歩だと思う。