いつかのカマキリ

吹っ飛ばされたカマキリはその後生きていたのか。

変わらない生活、変わりゆく日々

季節は移り変わり、上着が手放せない日々からトレーナー1枚で外出できるようになった。

桜が満開を迎えたらしいが、桜並木が近所にないので実際のところあまり満開がどうとか実感できていない。

厳しい冬を超えてようやく春がきた。

 

大阪に引っ越して来て初めての冬がやっと終わりをむかえた。

 

毎年冬になるとメンタル崩しがちで引きこもり、布団から起き上がれない日々だったけれど、今シーズンはまあまあな感じでやり過ごすことができた。

必要な買い物にも行けているし、なんだかんだ外出もしている。

 

それもこれも、人と一緒に住んでいるからだと思う。

ADHDっぽい私は人目がないとまず動けない。

小さい頃から、友達が遊びに来るとわかってから片付け始めてなんとか見栄えのする部屋に整える、という付け焼き刃式お片づけで難を凌いできたタイプだった。

それは一人暮らしをするようになっても変わらず、引きこもりになって家に人が来なくなってからはエスカレートし、片付けのかの字もないほどとっ散らかっていた。

 

そんな部屋に暮らしていながら、一人暮らしはもう何年もしてきているし、と、慣れたものだと思っていた。

しかし実際は、セルフネグレクトのオンパレードで、生活としては成り立っていなかったようだ。

 

よく考えてみれば、洗濯物は着る服がなくなってから仕方なくするものだったし、食器も必要な分だけ洗って他の食器は延々とシンクに溜まっていく一方だった。

自分が生活をしていく上で必要な行動が取れないことをセルフネグレクトという。

その言葉を何年も前から知っていて、自分に当てはまるなあと思いながらも、改善することができなかったのは、人目がなかったからである。

 

実際に一人暮らし時代、洗濯物を溜め込みまくって夫にコインランドリーまで大量の衣服を運んでもらったこともある。

思い出話でよくその時の話をするが、夫には頭が上がらない。

 

夫は洗濯物に関しては「そろそろ…」と言ってくれるので、同棲を始めてからは今のところ溜め込まずになんとか回せている。

食器は朝まとめて洗うようにしているため、今はあまり溜まっていない。

私がくたばってる時は夫が代わりにやってくれることもある。

 

私は、同棲してから人が変わったのか?否。

そんなにすぐには変われないものである。

 

夫が出張に行くと元通りの生活をしてしまう。

これまで月一回くらいずつ出張に行っている夫だが、帰ってくる日に合わせて洗濯機を回すことが多い。洗い物の配信で30分くらい食器を洗い続けているのはそのためである。

本当は、洗濯物も食器も溜めずに洗ってしまうのが楽だと分かっている。

分かっていることとやれることは別物である。

 

行動の先に人がいないと私は行動できない。

私の中では、人目が気になる、の対義語として、人目がなかったら何もできない、だ。

なんならお風呂に入ることもやめてしまう時もある。でも外に出るから、夫に嫌な思いをさせたくないから入る。

洗濯も、掃除も、洗い物も、夫の生活の質を下げたくないがためにやっていると言っても過言ではない。

 

自分にはネグレクトしてしまう。自分のためには動けないが、ひとのためならなんとか動ける。

そんななので、子どもを持つのが怖いと思うことが多い。

親は子どもを同一視してしまうという。

自分のための家事をしてあげられない私が、自分の子どものためにも何もしてあげられなかったら?

子どもを持ってからでは遅い。この自分をなんとかしなければ。

 

生活は変わらずやっていくしかない。

自分のことは変えていかなければ。

春が終わるくらいには何か光明見えているといいんだけれど。

 

何か思いついたらまた書きます。

 

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セルフネグレクトから脱出できた方はいませんか。

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