いつかのカマキリ

吹っ飛ばされたカマキリはその後生きていたのか。

愛にできることはまだあるかい

プロポーズされて、大阪行きが決まった。

よく考えて決めたことだけど、報告をしたタイミング等かなり急ではある。

(このへんのことも後日書けたらいいなとは思っている。)

 

大阪に行くためのご挨拶に、お盆に親と会うことが決まった。

その前に、一度ひとりで帰ってきなさいと言われて、帰った。今回はその話です。

 

半年ぶりに会った母親は、髪を切ったり、仕事終わりで普段絶対着ない服を着ていたりして、全然目に入ってこなかった。

車から降りて迎えに来てくれていたのに、全然気づかなかったことがちょっとショックだった。

 

母親とわたしの関係は、悪くないと思う。

ただ、わたしが一方的に距離をとっていて、母親は子離れができていない、それだけだ。

わたしの現在は、わたしが決めて進んできた道だ。

そこに両親の離婚騒動やら親族のゴタゴタは直接的には関係していない。

と、思っていたのだけれど、どうやら違ったみたいだった。

心のどこかで、うつ病とか生活苦とか、生育環境が悪かったこととかを親族のせいにしてきたところがあるのかもしれない。

そんなことを思った。

実際自分で決めて歩んできた人生だから、人のせいなんてことは無いんだけど。

 

推定バツ2の祖母と、バツ2の母親がそばにいて、自分のうまくいかない恋愛なんかも加わって、長く続いていく関係なんてない、いつか終わりがくる。

いつのまにかそう思っていた。

 

帰省したものの朝から母親が仕事で家を出たので、祖母とふたりで一日を過ごした。

栃木は涼しかった。その日だけだったらしいが、吹いてくる風が涼しいのは田んぼやら自然やらに囲まれているからなのかな。

 

祖母の家はわたしが一緒に住んでいた高校時代のまま、時が止まっているようだった。

机のマットは高校生の時好きだったものがぎゅっと詰まっていた。

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朝からふたりで釜の蓋まんじゅうを作り、午後にはそれを配りに親戚の家を巡った。

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祖母とは結構気が合うので、色んなことを喋りながら出かけたり、昼食や夕食を一緒に作ったり、楽しく過ごした。

薄々感じていたけれど、わたしを溺愛してきた祖父とは血が繋がっていなかったことがハッキリと肯定された。

ただ、祖父のわたしへの溺愛っぷりは筋金入りだった。

血の繋がらない人間のことも、目に入れても痛くないほどに愛せる可能性がそこにあったのか、と今更になって実感した。

 

そしてわたしは何を思ったのか、昔の写真が見たくなって、祖母に昔のアルバムはあるか聞いてみた。

わたしが描いた絵や日記とともに、幼稚園のころまでのアルバムが大量に出てきた。

 

生まれた時は一重だったこと、おでこに赤いアザがあったこと、いろいろ話しながらアルバムをめくった。

途中で母親が帰ってきて、一緒に見ることになった。この時はどうだった、とか、エピソード付きで見た。

 

アルバムにある写真のどれもが、愛がなければ撮れないような写真だった。

うまく言えないけれど、そんな写真ばかりだった。

インスタントカメラなのに、よくこんなに素敵な瞬間が切り取れるなあと思えるほどに、たくさんの写真たちが残されていた。

もうこの世にはいない祖父に、若い頃の祖母と母親、みんなみんな、幼いわたしのことを見る目が優しかった。

これが愛じゃないなら、何を愛と言えるのか。

 

離婚しまくりの親族のことを見てきて、長く続く関係なんか、ないものだと思ってきた。

でも、アルバムの中には確かに愛が溢れていたし、目の前にいる母親と祖母は、不器用だけどいつだってわたしのことを優しい目で見てきた人達だった。

 

こんなに愛されて育ってきたこと、愛されて今ここにいること。

どんなことがあっても、途切れずに母親とも祖母とも関係が続いていること。

わたしの婚約を心から喜んでくれていること。

 

愛なんか存在しない、続かないと思ってきた。

でも、見えていなかっただけで、ずっとそばにあった。らしい。

 

愛されていなかったから、親族に嫌というほど振り回されてきたのだと思ってきた。

親族のせいで信じられなかった愛が、ちょっと重すぎるくらいに大きな愛となって突然目の前に現れて、正直混乱した。

 

散々振り回された。

結局振り回されたことは消えない。

それを今更謝られても、許せなかった。

 

なのに、今こうして愛を感じて、それらを許さなければならない気持ちになっている。

 

こんなにも愛されてきた、今も愛されているのに、わたしは何で足踏みをしているのか。

帰省から戻ってきて、頭の中はぐちゃぐちゃだった。なんなら一日寝込んだ。

 

振り回されてきたことを許せない自分がいることが、自分で嫌になった。

 

許そうと思わなくていい、やられたことは無くならない、十分歩み寄ってる。と友達から言われて泣いた。

 

今の自分はまだ、親族に怒っていたいのかもしれない。

愛されてたのね!ありがとう!全て許すわ!と手放しで受け入れられるほど、私の中では時間が経っていない。

 

最悪ともいえる家庭環境で育ってきたから、その反骨心で生きてきたのに、急に骨抜きにされてしまった。

わたしを形作っていたものが揺らいで、今はどうしたらいいか分からない。

許せるほど環境も変わっていない、今は。

ないものとしてきた愛が過去にも現在にもにあったと分かって、一生縁のないものだと思っていた愛が形となって現れてきて。

 

愛ってなんだ。

婚約したけれど、愛が分かっていないわたしに人を愛すことができるのだろうか。

 

でも、確かに言えることは、いつかは親族を許したいし、わたしも人を愛せるようになりたい。

いままでは全部諦めていた。一生このままだと思ってた。

 

小さな頃のわたしを愛してくれる人が存在していた。

それだけは確かだった。

 

いつになるかは分からないけど、許すことも、愛すことも、諦めたくない。

 

そんなことを思った、帰省だった。