久しぶりに暗い話です。
何年もインターネットやってきて、発言や書籍を定期的に見に行っていたひとが、不穏な発言を最後に何も発信しなくなっていました。
不穏さを見るに、もしかすると…いや、まだ希望は捨てられないので言葉にするのを避けますが、この世にいるかどうかさえ分からない今 どうしても過去のじぶんのことが紐付けられて思い起こされます。
数年前、わたしにも不穏な時期がありました。
今考えるとマジでしょーもないのですが
解決できない(と思い込んでいた)悩みを大切な人たちに見せたり巻き込んだりするのが嫌で、視野が狭い中で唯一だれかのことを考えて、誰にも頼らないことを選んでいました。
隠し通してたつもりでしたが、勘のいい人達は気づいていたみたいで、結局のところ心配をさせてしまって…。すみませんでした。
あれから何もせず生きてただけですが、無理だと思っていた悩みが解決したり、人に頼ることでお互いハッピーでいられることが分かったりしました。
ただの生存バイアスかもしれないけれど、今のわたしだからできることもあるのかな…と思っています。
話は逸れましたが、そんな不穏な時期が彼女に訪れていたことは発言から見て取れました。
そこで初めて分かったことがあります。
(仮にでも)残される側は、めちゃくちゃ苦しい。何を考えていても心が痛い。自分にも何かできたんじゃないか…もし声を掛けていたら変わっていたかも…とか、後悔が込み上げてくる。
事件や事故でいなくなるのと、意志を持って自らいなくなるのでは全然違った…。
こんな思いをさせるって知っていたら、そんなこと考えなかったのかなあ。
「生きててほしい」という言葉を一方的に重い…と感じていたけれど、その言葉を言わせてしまう状況もだいぶ重たい。
重い言葉をかけられたんじゃなくて、鏡合わせなだけだったみたいです。
分かっているつもりで全然分かってなかった。
この歳になって新しく感情を知るとは思いませんでした。
本人の想いは尊重したい。でも、
できれば生きててほしいな。
発信しなくていいから、世界のどこかで、どっかり生きててくれたら…ひたすら そう願うばかりです。
2022/08/10追記
彼女、生きていました。自殺未遂で止まってほんとうによかった。